• 公開日2021.08.25
  • 最終更新日 2024.01.17

乳房再建手術経験者の声

毎年のマンモグラフィ検診で問題なし 違和感を感じて受診し、高濃度乳房と告げられた

京都府 YYさん(50代)


手術方式
:「二次二期再建」

・乳がん手術
2018年12月 左乳房全摘手術(皮下乳腺全摘/乳頭乳輪切除)
2019年1月 皮膚の追加切除
執刀 足立乳腺クリニック(旧沢井記念乳腺クリニック) 新藏信彦先生
・乳房再建手術
2019年3月 エキスパンダー挿入
2020年3月 インプラントに入れ替え (ラウンド型スムースタイプ)
2021年1月 脂肪注入により修正
執刀 京都府立医科大学 形成外科 素輪善弘先生
・乳頭乳輪再建手術
2021年3月 乳頭再建(皮弁立ち上げ)
2021年5月 タトゥー
2021年6月 タトゥー仕上げ
執刀 京都府立医科大学 形成外科 素輪善弘先生

術前治療:なし
術後治療:ホルモン剤(タモキシフェン)5年間(服薬継続中)

セルフチェックで違和感を感じ、すぐに乳腺外科を受診

私は、毎年マンモグラフィで乳がん検診を受けていたので「乳がんにはならないだろう」と思っていました。それまで、家事に仕事にと忙しく、乳房のセルフチェックをしたことはなかったのですが、2018年8月ごろ、たまたまセルフチェックをしたところ左胸に違和感を感じました。

「毎年マンモグラフィしているから大丈夫」と思ったのですが、なんとなく気になって近くの病院に行ったところ、すぐに乳腺外科を紹介されました。そこでマンモグラフィでは写らない、高濃度乳房(デンスブレスト※)だと言われ、「がんが乳房全体に広がっているので全摘しなければいけない」と言われました。

※高濃度乳房(デンスブレスト)についてはこちら

乳がんの診断を受け、はじめて「死」を意識、恐怖と覚悟を行ったり来たりし自身の心の弱さと強さを繰り返し感じました。この先、自分がどうなるのかわからない状況だったので、大学生だった娘にはなかなか言えませんでしたが、手術の1か月前にようやく手術することを伝えました。

当時、私は仕事・プライベートでいろいろと大変なことがあり、そんななか乳がんになってしまったので、娘が「ママがしんどいときに、近くにいて気づかなくてごめんなさい」と泣きながら言ってくれたので、治療をがんばろうと思いました。
その言葉を思い出すと今でも感謝の気持ちでいっぱいになります。

「切除したらまた走れるよ」先生の言葉に勇気づけられた

私は趣味でランニングを12年ぐらい続けており、毎年フルマラソンに参加しています。乳がんが見つかった2018年12月にホノルルマラソン、年明けに京都マラソン、名古屋ウィメンズマラソンの予定を入れていたので、先生に「ホノルルマラソンを走らせてほしい。ホノルルマラソンが終わってから手術をさせてください」とお願いしたところ、先生は私の希望を快く聞いて対応してくださいました。

そのときは乳がんが悪性なのか良性なのか、術後マラソンを続けられるのかがわからなかったので、とにかくホノルルマラソンを走りたかったのですが、先生は「切除したら、また走れるから大丈夫」と勇気づけてくれました。手術後も走れるというのがうれしくて、京都マラソン、名古屋ウィメンズマラソンが終わってから今後のことはゆっくり考えようと思うことにしました。

手術は、左乳房を全摘し、皮膚の追加切除をしました。まずは悪い部分を切除して、病理検査の結果を聞いてからその後のことを考えればいいかなと思いました。そのときは生きるか死ぬかわからなかったし、病気が今後どうなるかわからなかったので、胸を再建するなんてまったく考えられませんでした。

再建しようと思ったきっかけは、マラソンをしているときの不便さ。片方の胸がないとブラジャーが上がってきてしまい、走りながらブラジャーを調整しないといけないんです。そして、ゴルフや水泳、フィットネスクラブで着替えるときも、こそこそと隠れなくちゃいけない。

「やっぱり胸を再建しなければいけないな」と思い、自家組織とインプラントのどちらがよいかと主治医に相談したところ、主治医は、「運動するのであれば、海外のスポーツ選手はインプラントを入れている人が多いから、まずはインプラントでやってみたら」とおっしゃいました。自家組織だと、お腹も切らなければいけないし、治るのにも時間がかかるからと言われたので、インプラントで再建することにしました。

2019年3月にエキスパンダーを入れ、その年の10月にインプラントの手術が決まっていたのですが、アラガン社のインプラントリコール問題があり、手術の前日に主治医より電話をもらい「こういう状況だから、手術をやめておきましょう」と言われました。手術はそのまま行われるものだと思っていたので「エキスパンダーが入っているのに」という気持ちでしたが、なるようにしかならないと延期することを決めました。

私はエキスパンダーが入っている胸を気に入っていて、これでもいいと思っていたぐらいです。ただ、いずれは入れ替えなければいけないので、保険対象外のものでもいいと思っていたのですが、先生からの連絡を待って、2020年3月に入れ替え手術を行いました。

乳がんになって自分を見つめ直した。これからの人生を大事に生きていきたい

私は女性と関わる仕事をしていることもあり、2014年から毎年、ピンクリボンキャンペーン活動とイベントを行い、認定NPO法人乳房健康研究会に売上金の一部を寄付しています。こういう活動をしていたにもかかわらず乳がんになったので「検診に行っていたのに」という思いがずっと自分の中にあります。なので、この活動では「マンモだけじゃなくエコーも一緒に受けようね」と話しています。自分が乳がんになったことで、これまでとは違うアドバイスができるようになりました。

先日、東京にいる娘と熱海旅行に行き、温泉で再建した乳房を見てもらいました。乳頭ができたから温泉にも気兼ねなく行けるように。
乳頭がないときは、インプラントで再建した乳房に対して「こんなん、なくてもいいかな」と思っていました。泳ぐときもごろんごろんとインプラントが動いて違和感があるんです。「インプラントを入れたまま、一生過ごすのか・・・」と思った時期もありましたが、乳頭ができたときに「うわぁ~すごい!」と感激しました。
主治医に作ってもらった乳頭があまりにも素晴らしいので、「先生って頭も賢いし、乳房も再建してくれるし、縫い物(吻合手術)もできるし、タトゥーのようなアートもできるし、天才やね!」と言ったら、先生は笑っていました。私のためにいろいろアドバイスをしてくださる、いい先生に出会うことができました。

いま、左側にはラウンド型のインプラントが入っていて丸く、右側は自然と下垂していく。どうしても左右差があるし、左側を触ったら冷たい。もし今後、再建技術がどんどん進んでナチュラルな乳房が再建できるなら、インプラントを脂肪注入か自家組織で再再建してみたいとも思っていますし、今、主治医が研究されている、インプラント等に代わる乳房再生医療がもっと進み、高い安全性と生着率が期待できる脂肪組織で乳房を再建することができたら、こんなに幸せなことはないですよね。

私自身、乳がんになったときに不安と心配でいっぱいになり、治療のことで精一杯で再建のことは考えられませんでした。でも、乳がんになったからといって人生が終わるというわけではなく、そこからまた新しい生活が始まります。一人の人間、一人の女性として美しく輝いて生きていけるようなきっかけが大事だと思います。乳房再建は私にそのきっかけを与えてくれました。今後、全国の医療施設で乳がんの治療だけではなく再建手術にも力を入れてもらって、患者さんには乳がん治療と同時に再建手術についても知ってもらえるような環境ができたらうれしいです。

私は乳がんになったことで、自分を見つめ直すことができました。これからの人生を大事に生き、がんばろうと思いました。年齢をどんどん重ねていくけれど、胸を再建したことで女性らしくいられるのだと感じています。

二人に一人ががんになる時代、乳がんになったからといって落ち込まずに乳房再建という選択肢があるということを知って、自信をもって生きていってほしいと思います。

*インタビュー記事は個人の体験談に基づく感想で、E-BeCで推奨するものではありません。体験談は再建を考える際の参考にしていただき、主治医や医療者とよく相談をして決めるようにしてください。

(オンライン取材:2021年7月)

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このサイトは、医療に関するコンテンツを掲載しています。乳がんや乳房再建手術に関する各種情報や患者さん・医療関係者の談話なども含まれていますが、その内容がすべての方にあてはまるというわけではありません。 治療や手術の方針・方法などについては、主治医と十分に相談をしてください。

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